パンペリー本の蔵書票

 幕末に、幕府から要請され米国が派遣した幕府のお抱え地質学者に興味を持っている。 ラファエル・パンペリー(1837-1923)。相棒と共に1862年に来日、幕臣蝦夷地(北海道)で鉱物資源の探査旅行をし、5人の日本人に鉱山開発や貨幣製造の、貴重な技術を伝授した。
 
 探査行では、渡島半島の駒ケ岳に興味を持ち、噴煙のまだ上がる広大な火口へ降りていった体験を書き、今読んでも面白い。林の中、随行した幕臣の馬が、先行馬が跳ね上げた長い蔓に、鞭のように叩かれ大暴れ。幕臣が落馬、落命した様もリアルに描いている。
 
  しかし、攘夷、佐幕の血なまぐさい時代に、米国人の滞在は危険だといわれ、大陸に向かう。清、モンゴルを旅行し、黄土地帯に目を瞠り、地質調査をして過ごす。再来日したものの活動の場が得られず、結局シベリア鉄道で欧州に出、大西洋経由で帰国している。
 
  ハーバード大学の教授になったが、自由な研究時間を求め教職を去り、精力的に調査活動した。探険家としての血も流れていたのだろう、後年トルキスタンの考古学調査で、アナウ遺跡(世界遺産)を発掘している。考古学者としても世界的な発見をしたわけだ。
 
  幕末の日本人は、優れた人材を活かしきれなかった。
 
 彼の中古の伝記本(Raphael Pumpelly)を注文したら、米国の図書館の蔵書票(EXLIBRIS)の付いた本が届いた。ニューハンプシャー州ピーターバラという人口6000人ほどの町の図書館で、「PETERBOROUGH TOWN LIBRARY」という名称だった。
 
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 蔵書票には、イラストで円形の玄関ポーチが付いた平屋の建物と、背後の木々、壁を這う蔦、庭の草花が描かれていた。
 
 この図書館を調べてみると、1833年に米国で初めて税金によってつくられた公共図書館だった。当時は篤志家の寄付による図書館がほとんどで、公的資金を導入しての一般人が無料で気軽に入館できるのは画期的なことだったようだ。 日本でいうと、天保3年、パンペリー来日の30年ほど前になる。
 
 こういった図書館なので、届いた本が図書館の廃棄図書であればいいが、ニューハンプシャーの不届き者が勝手にネットで売ったのだとすると、いささかまずい。一応図書館にメールで伝えておいた。
 
 日本での蔵書票は、明治33年(1900)に、文芸誌「明星」で紹介されたのが始まり。竹久夢二武井武雄らが興味を持って作ったそうだ。
 
 エクスリブリス=蔵書票を、愛好家が貼っているケースを、時々見かけるものの、日本は古来、「蔵書印」の文化があるせいか、広がりにかけているようだ。
 
 引き出しの中に、あがた森魚さんからもらった蔵書票があるのを思い出した。
 
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エクスリブリスもいいものだ。