冴え返りつつ春なかば

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 寒い日が続きながら、春も確かなものになってきた。
  冴え返り冴え返りつつ春なかば  泊雲
 今年は、例年以上に、西山泊雲の上の句を思い浮かべることが多かった。
 
 泊雲のことは前に触れたが、丹波二泊のもう1人、泊雲の弟で、俳人の野村泊月(1882-1961)もまた、忘れがたい存在だ。
 
 率然と藪の中より花吹雪  泊月
の春の句がある。
 
 上京し早大で学んでいた泊月は俳句に関心を持ち、高浜虚子に師事した。中国杭州で教師をしたが、病を得て帰国し、大阪で私塾の英語学校を開校した。西山酒造の次男だけに、酒豪であり、豪放磊落だったようだ。「山茶花」「桐の葉」の俳誌を創刊。泊月が、泊雲を俳句の世界に引き込んだ。
 
 泊雲に画家の小川芋銭が惹かれたように、泊月には11歳年下の俳人高野素十(1893-1976)が慕った。
 
 戦後すぐ泊雲が亡くなったが、実家の丹波竹田の近くの、丹波市春日町に住む泊月を、素十はたびたび訪ねた。
  昭和2810月の句。「泊月居」
  曼珠沙華咲く方へ咲く方へ行く 素十
 
 福知山線黒井駅を降りて、曼珠沙華の咲く畑道を歩いて行く姿が偲ばれる。このころ、素十は奈良住まいだった。京都山科に転居した同2912月にも、黒井の泊月宅を訪い、
  短日の一日なりし君を訪ひ   素十
の句を作った。
 
 泊月は、2年後の昭和31年、眼を患って視力を失ったが、
 泊月は昔の顔や置炬燵   素十
と同33年の句で元気な様子を喜んでいる。
 
 泊月が亡くなって6年後、昭和421119日、福知山線に乗った素十は、黒井駅を過ぎるあたりで泊月を懐かしんで句を作っている。
「車中故泊月君を幾度か訪れしことある黒井駅を過ぐ。窓外風景ただならず懐し」
  幾変遷幾変遷や草紅葉  素十
 二人の深いつながりを思う。
 昭和36213日の逝去の際は、「野村泊月君を悼む」と前書きして
 
 虚子門の一仏として冴返る  素十
の句を作った。亡くなったのが冴え返る季節だったが、兄の「冴え返り冴え返りつつ春なかば」の句とも響きあい、「丹波二泊」へ送る句となっていると思う。
 
 冴え返る日が多かった今年、丹波が生んだ兄弟俳人のことを思い返す春となった。