寒い日が続きながら、春も確かなものになってきた。
冴え返り冴え返りつつ春なかば 泊雲
今年は、例年以上に、西山泊雲の上の句を思い浮かべることが多かった。
率然と藪の中より花吹雪 泊月
の春の句がある。
上京し早大で学んでいた泊月は俳句に関心を持ち、高浜虚子に師事した。中国杭州で教師をしたが、病を得て帰国し、大阪で私塾の英語学校を開校した。西山酒造の次男だけに、酒豪であり、豪放磊落だったようだ。「山茶花」「桐の葉」の俳誌を創刊。泊月が、泊雲を俳句の世界に引き込んだ。
昭和28年10月の句。「泊月居」
曼珠沙華咲く方へ咲く方へ行く 素十
短日の一日なりし君を訪ひ 素十
の句を作った。
泊月は、2年後の昭和31年、眼を患って視力を失ったが、
泊月は昔の顔や置炬燵 素十
と同33年の句で元気な様子を喜んでいる。
「車中故泊月君を幾度か訪れしことある黒井駅を過ぐ。窓外風景ただならず懐し」
幾変遷幾変遷や草紅葉 素十
二人の深いつながりを思う。
昭和36年2月13日の逝去の際は、「野村泊月君を悼む」と前書きして
虚子門の一仏として冴返る 素十
の句を作った。亡くなったのが冴え返る季節だったが、兄の「冴え返り冴え返りつつ春なかば」の句とも響きあい、「丹波二泊」へ送る句となっていると思う。