江戸の雑俳「武玉川」に描かれた猫

100円で手にいれた岩波文庫「武玉川㈡」の古本をめくる。
 
江戸中期の雑俳撰集。18世紀に、猫がどう描かれているか探す。
 
「ほたんに十日猫の食傷」
「手桶て猫を捨る町代」
「乞食の猫の吉原へ来」
「赤猫の折々年を算へられ」
 
結構、意味が掴みにくい。評釈もないので、勝手に解釈してみる。
 
1 「ほたんに十日猫の食傷
ほたんは、ぼたん。
猫が噛んだ跡が10日ある、ということらしいので、ぼたんは、牡丹でなくて、ぼたん肉(イノシシの肉)だろう。
江戸時代、「薬喰い」といって、イノシシ、鹿の肉をクスリと称して食べていた。狩りで得たイノシシの肉を、血抜きして寝かせていたのだろう。10日経ってそろそろ食べごろなのだが、猫の歯形がずっと残っている。と解釈してみる。
きっと猫も固い肉を食いちぎれなかった、のだ。
 
2 「手桶て猫を捨る町代
  これも「て」は「で」。「ておけでねこを すてるちょうだい」
  町代ってなんだ。江戸の各町内の番所で、事務を扱う町役人とのこと。町内に住み着いた野良猫の始末も、押し付けられたということか。猫は苦手か、ちょうどいい塩梅の手桶をみつけ猫をいれて捨てに行く。
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3 「乞食の猫の吉原へ来
  (こじきのねこの よしはらにくる)

  これは、意外に難しい。榎本其角の人気句「京町の猫通いけり揚屋町」を下敷きにしたと解釈してみる。
   新吉原京町の太夫たちは、薄雲太夫の猫が、厠で太夫を蛇から救ったせいで、猫を可愛がり、揚屋入りの時も、禿(かむろ)に猫を抱かせ仕事場に向かった。花魁の猫たちは、抱っこされて通ったのだ。
  ③の句は、野良猫だって、吉原にくる。もちろん歩いてー。
 
4 「赤猫の折々年を算へられ
  「あかねこのおりおり としをかぞえられ」
   これも難しい。赤猫は赤い猫なのだろうか。
   江戸の隠語で、火事のことを赤猫といったそうだ。放火犯も赤猫と呼んだという。
赤い猫を見ると思う、先の大火事から、もう何年経ったっけか、と。
 
   江戸時代を、理解するのは、ちょっと無理に近いかもしれない。
 
 犬の句としては。次のものがあった。
 
松か岡おとこに犬の吼えかかり
 
これは、松が岡がわかれば簡単だ。広辞苑にも「松が岡」はある。
鎌倉・東慶寺のこと。松が岡東慶寺といったそうだ。
そう、女性の駆け込み寺。最近、映画にもなった、みてないけど。
夫から逃げ出した女性の避難先として認められていた。
妻を連れ戻しに来たと勘違いしてか、男と見れば犬がほえる、と解釈してみる。