貝類研究の平瀬与一郎の記したウミウサギ

 ウミウサギの命名のヒントを知りたくて、まず、日本の貝類研究の礎を築いた人を調べてみた。淡路島に生まれ、私財をなげうって、貝類研究に打ちこみ、京都・岡崎に貝類博物館を建設した平瀬与一郎に行きあたった。
 
 京都で平瀬商店などを構えていたが、宣教師として京都にやってきた動物学の学徒にであい貝類収集を一生の仕事にえらんだ。内外の貝を収集し、明治40年(1907)に「介類雑誌」を創刊、日本の貝の図録を発行し、大正2年=1913年には博物館まで竣工した(資産を使い果たしほどなく閉館した)。
 
 この人が明治42年=1909年に自ら発行した「貝類手引草」を調べた。国立国会図書館アーカイブでみられるのだ。あった、図入りだった。
 
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 ウミウサギ科として、ウミウサギとヒガイの2種類を紹介している。ウミウサギは
 
殻形タカラガヒ類に似るも外唇内曲の度少なく、内唇に歯を有せず、表面は平滑にして光澤ある磁白色をなし、口内は暗柑色を呈し、一見磁器の如く、緒締、杯、匕等を製す、長凡三寸、南日本に産す
としるしている。
 
 磁器の如し、という表記は、ウミウサギの、スペイン名「卵の磁器」、フランス名「白の磁器」を知っているかのような表記だ。ウサギへの言及はない。
 
 ヒガイの方には、「前後の水管溝は垂直に延長し梭状の外観を呈す」と、ヒガイのヒが、織機の用具の「梭(ひ)」に似ているから、だとさりげなく書いているのに。
 
 ウミウサギは、平瀬が命名したのか。あるいは採集地で、そう呼ばれていたのか。
 
 平瀬が大正4年=1915年に発行した「貝千種」をインターネット・アーカイブで検索すると、
 
  773  ウミウサギ  琉球  と、採集地が記されていた。
 
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