浮世絵師大竹政直の鳥の絵

 散歩すると、たびたび古本市に出くわし、買ってしまう。読みきれないで次々たまってゆく。なるべく、絵のあるものを買うことにした。

  明治25年発行の幸田露伴編「寶の蔵」(復刻版)には、絵が沢山掲載してあった。明治の画家3人が挿絵を担当している。気にいった絵には、「政直」の印。
 江戸末から明治初期に、歌川国房(2代)の名で浮世絵をかいていた大竹政直という人物だった。着物を着た鳥たちに何とも言えない愛嬌がある。
   
  イメージ 1 雄鶏
 
  イメージ 2 カラス
 
 政直を調べてみると、幕末に流行った伊勢参りの絵双六など、一コマずつ丁寧にえがいたものが、のこっている。明治20年代からは、文豪幸田露伴との仕事が多いようだ。
 1)明治25年、子供向けの露伴編の「寶の蔵」で挿絵を担当、
 2)同26年、露伴の兄、郡司成忠大尉の千島列島探検の浮世絵「福島中佐郡司大尉遠征寿語録」を作画、
 3)同22年 創刊された「風俗画報」(大正年間まで)に、露伴とともに積極参加、
といった具合だ。
  
 江戸開府300年祭の明治22年に創刊された「風俗画報」に、政直は、消えゆく江戸の街中の商売を「江戸市中世渡り種」と銘打って、絵入りで紹介している。
 千日坊主、住吉踊り、一人相撲、居合抜き、唐人飴、いなりすしから、夜鷹、ごろつき。
 
 明治16年―20年の鹿鳴館時代が終わり、明治22年は大日本帝国憲法発布の年。江戸の風俗が消えていく一方で、日本髪復活など、江戸文化に対する復古の動きが出てきた。開府300年祭は、榎本武揚が実行委員長となり、前島密ら旧幕臣がサポートして開催された。
 浮世絵師の政直、幕臣のせがれの露伴と、江戸文化を伝えようとした「風俗画報」にかける似た思いがあったのだろう。露伴の「五重塔」は、この2年後に発表された。
 
 大竹政直は、明治11年、他の画家たちとともに、陸軍参謀本部地理課に所属した記録があるという。地理、測量技師たちに、絵を指導したのだろうか。