秩父札所に咲いていたシモツケ

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  先週、秩父の32番札所で、おもいがけない岩のぼりをした。
  途中で、花をみつけた。
 シモツケだった。
 下野の国(栃木県)に、ちなんで名づけられた、らしい。下野以外でも、日本中の山野で、さいているのに、なんでだろ。
 枕草子」に、野の花、シモツケの名がでてくるので、清少納言(966ごろ~1025ごろ)の時代には名がとおっていた。
 1)下野出身の人物が、都でシモツケの名をひろめた。
 2)下野を旅した人物が、歌などでこの花を紹介した。
 3)その他      
 
  1)下野出身の有力者に、下毛野氏がいる。この家系で可能性を考えてみる。この家は、鷹狩を職とするなど、興味深い。1330-1331年ごろの「徒然草」66段に、鷹匠の下毛野武勝がでてくる。有職故実にうるさそうな人物だ。
 可能性があるのは、奈良時代漢文学歴史学者の「下毛野虫麻呂」。長屋王に目をかけられ、藤原不比等がなくなり、長屋王が右大臣になった721年に、学者として表彰され、式部員外少輔になっている。長屋王宅での漢詩も、「懐風藻」におさめられている。博物学にも強そうだ。
 
  2)奈良時代歌人高橋虫麻呂」はどうだろうか。万葉集歌人のなかで、彼ほど博物学や地方の説話に好奇心をもった者はいない。東国を訪れ、筑波山にのぼり、武蔵小埼の沼で鴨を歌い、葛飾、上総の娘を歌った。
 植物は、紅躑躅、桜花、卯の花(ウツギ)、尾花、橘、黄葉、直さ麻と歌に入れ、枕詞ではあるが、野老葛(トコ  ロヅラ)、橿の実、山たづ(ニワトコ)ともちいた。下野での歌は残っていない。未発見の歌があり、下野で花が歌われた可能性はないか。それがシモツケ
 と妄想は大きくなってゆく。
 
おそらく、3)のその他、が正解だろう。若い人たちに、ぜひ、正解をみつけてほしい。
  シモツケの由来をさぐって出くわした、奈良時代の2人の虫麻呂。
 下毛野虫麻呂。高橋虫麻呂
  ナントカの虫といわれるけど、「虫」は奈良時代から、オタク系の意味をふくんでいたのではないか。
 
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  軽い気持ちでいったら、秩父の法性寺の奥の院は、岩山の頂上にあった。