匈奴の王墓の鳥を詮索する

 モンゴル内の、匈奴の墳墓群、ノイン・ウラ遺跡の第1号墓から出土した木棺漆絵に、飛翔する鳥の絵がえがかれている。
 
 梅原末治「古代北方系文物の研究」(1938)に、紹介されている。
 
 この鳥の種類をしりたいが、なかなか難しい。
 
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 漆の地は、茶色で、鳥のクチバシと冠毛が赤。背中は黄、翼の縁が黄。梅原の説明どおりに再現してみると、こんな感じになる。
 
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 スキタイと漢代の文化が混在する遺跡ゆえ、この鳥も、漢墓にえがかれた、魂を運ぶ鳳凰のような存在と想像されるが、鳥の色や姿に、漢墓と共通するものはみあたらないようだ。
 
 翼の位置からすると、カモ、雁のようにみえるが、こんな色のものはない。漢代には、神鳥として、サギらしきものがえがかれているものがある。
 
 サギならどうか。繁殖期に、クチバシが真っ赤になるサギ、アマサギがいる。輪郭の黒も無視し、鳥の体の空白の部分が、白とするなら、可能性はある。
 
 
 アマサギは、アフリカや、インド、豪州と南方のサギだが、夏に北の乾燥地にむかい、モンゴル高原でもすごす。牛の背中にとまって、寄生虫をとってたべる光景でよくしられる。家畜と共生するサギだ。
 
 英名も、CATTLE EGRETで=牛のサギ。中国名も、牛背鷺。
 
 匈奴と同じ遊牧文化のモンゴルでは、ホトニー・デゲル=家畜囲いのサギ、とよぶ。仔羊など家畜の囲いや小屋にとまっていることから名がついたのだろう。
 
 匈奴の王の棺の意匠として、漢人が、魂を天に運ぶ鳥として、遊牧民に親しみのある家畜の友のアマサギを選択した、と想像してみる。