西行が貰った銀の猫ってなんなのだろう

  猫は、前足の関節を後ろに畳んで、香箱座り。
 うちの猫は、香箱座りはもちろんするが、こんな風に左右に組んでいることがある。
 
 何か考えているのだろうか。
 
 イメージ 1
 
 猫と一緒に、またどうでもいいことをかんがえてみようか。
 鎌倉時代の「銀の猫」をかんがえよう。
 あの、西行法師が鎌倉の八幡宮で、源頼朝にあって、流鏑馬故実をおしえると、頼朝は褒美として西行に「銀作猫」をあたえた。しかし、西行は、門外に出ると、遊んでいた子供に銀猫を「与放」=くれてしまった。
吾妻鏡」文治2年(1186)の条に、かかれている。
 
 西行が宝物を子供にやってしまったエピソードばかり注目されるが、その銀の猫の方が気になって仕方ない。
 
吾妻鏡」の文治5年(1189)の条では、源氏が藤原氏を倒したとき、平泉の蔵から財宝が出てきて、金の鶴などと一緒に銀の猫の像がみつかったとある。
 
 銀の猫が2つもあったとすると、よほど流行していたとかかんがえられないが、そんな気配はない。
 西行は、猫の像を、子供にあげないで、次にむかった平泉に土産にもっていたのではないか、とおもってしまう。
 藤原氏西行、頼朝の関係、思惑などの考察は沢山あるけれど、いったい、どんな猫の像だったか、調べている人はいないのだろうか。
 
 江戸時代より古く、日本でつくられた猫の立体像は確かない。源氏物語など小説や紀行文などに猫がでてくるくらいで、鎌倉時代でも、吾妻鏡をのぞくと、本をかじるネズミ退治のため、金沢文庫で猫をかっていたというくらいではないか。
 
 どんな猫の像だったか、興味津々。まさか、古代エジプトで発掘された銀の猫が、めぐりめぐって、宋から日本に輸入されたわけではなかろうし。
  なんとか、鎌倉時代の銀猫のヒントくらいつかみたい。