琵琶湖から義満の笙へたどりついた

 
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 琵琶のことを少ししらべてみた。
 そもそも公家社会の雅楽では、楽器にもヒエラルヒーがあって、弦楽器が管楽器より上であって、もっとも権威があったのが琵琶だった。
 天皇は、雅楽で琵琶を演奏した。
 
 雅楽の「楽琵琶」は、重くて、共鳴部分が狭いため、ほとんどひびかず、メロディーとして聞こえないのだが、ばちで腹板を激しくたたきつけるので、打楽器の機能があった。(「音楽と芸能」=学生社=の茂手木潔子氏の発言)
 
 ところが、南北朝の内乱期に、南朝側は、天皇家に伝わる琵琶をもちさったので、北朝天皇が、琵琶をまなべない事態におちいった。
 
 そんな時、雅楽の世界でのしてくるのが、将軍で、笙の演奏家だった足利義満だった。義満は、死ぬまで笙を愛し、公式行事の雅楽演奏や、室町殿での管弦の会で演奏した。相国寺興福寺日吉神社石清水八幡宮にも出向いて自ら演奏した。
 
 笙演奏家としての義満は、坂本麻実子氏「足利義満と笙」(「日本の音と文化」=第一書房)を、よんで目をひらかされた。
 
 義満は、後小松天皇にも、後見人となって笙を教えて、笙の世界にとりこみ、天皇が笙をふくのを、通例にしてしまった。
 琵琶を凌駕して、管楽器の笙を、一番の楽器にしてしまったのだ。
 
 時代の流れでもあった。蒙古襲来が転機だった。日本中が騒然とするなかで、亀山天皇は、敵降伏を祈願して、石清水八幡宮で「陵王荒序」の奉納を命じた。
 琵琶演奏がない、舞楽蘭陵王」の「荒序」は、「天下平定の音楽」として中心楽器の笙とともに脚光をあびた。
  
 義満の祖父、足利尊氏が「荒序」の笙をまなんだのも、「天下平定の音楽」のゆえだろう。
 
イメージ 3 陵王のマスク(日光山輪王寺
 
 
 源平時代までの、怨霊を抑える、語り物の楽器、琵琶から、蒙古襲来以降の、敵降伏を目的とした、舞楽蘭陵王」の笙へ、流れが、大きくかわったのだ。
 
 琵琶湖の竹生島にもどって、かんがえれば、今につたわる、「三社弁才天祭」で、舞楽蘭陵王」が演じられている事実だ。笙が、横笛とともに演奏されている。
 
 平家怨霊など、琵琶湖の竜王があばれるのをおさえるために弁天=琵琶ばかりか、蘭陵王=笙の手助けをうけている、ということにほかならない。
 
 歴史の重層する、琵琶湖文化はやはり、おもしろいのだ。
 
 
イメージ 1 信西古楽図から