M7.4地震の前の琵琶湖と猫

 琵琶湖の形を猫と見るのは、若干無理があるのはわかるけれど、平安時代まではもっと猫らしかったのだ。
 
 1185年に安曇川河口を震源に推定M7.4の大地震があった。安曇川は湖西の、猫の首の付け根あたり。京都では大伽藍・法勝寺の九重塔が崩れ、阿弥陀堂、回廊、金堂とが倒れた。近江も被害にあい、琵琶湖の北辺、伊香郡だった地域が丸ごと沈降してしまった。
 
 そもそもは、こんなだったのが、
 
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地震で下のようになり、現在の形になったのだ。
 
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 猫の右耳の横に瘤=塩津湾が出来たのは、この平安末期の地震のせいだった。(秋田裕毅びわ湖湖底遺跡の謎」創元社、1997年)
 伊香郡浅井郡の不自然な位置関係、中山忠親山槐記」の記載から、広い地域の沈降が裏付けられるという。山槐記では、湖水が北に流れて一時的に水位が下がったとあり、これは塩津湾が沈降したためか、と推察している。
 
 ちなみに、琵琶湖に多数ある湖底遺跡は、
 
 1 縄文晩期 柳ケ瀬断層の震源域の大地震
 2 弥生中期   同上
 3 平安末期 1185年 M7.4 安曇川河口
 4 安土桃山 1596年 M7.2 伏見地震
 
 4度の大地震のために、湖水の唯一の出口、瀬田川川床が隆起し、湖の水位が1-2m上昇したため、湖の下に沈んでしまったのだった。