江戸時代、蔵前のトイレの前で眠る猫

 トイレの前で猫眠る。
  宮尾しげを「笑話文学江戸小咄全集1」(昭和25年)をめくっていると、こんな挿絵があった。
 
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全体では、こんな感じ。
 
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 2人の侍が公衆トイレで座っている。その前で、猫が丸くなって眠っているのだ。
 どうしてまた、こんな所で寝るのか。
 江戸中期、明和7年(1769)に発行された「友だちばなし」。
 侍が、浅草蔵前で便意を催し、「二軒続きの雪隠(せっちん)」に入り、節穴から隣を覗くと、しゃがんでいるのは、なんと捜していた親の敵だったという、しょうもない話。
 なんで、2軒続きの公衆トイレ前に猫がいるのか。
 絵を描いたのは、役者絵、美人絵も残している浮世絵師鳥居清経。
 絵の猫にもわけがあるはず。
 
 当時、町で猫が飼われたとすれば、ネズミ捕りのため。では公衆トイレのネズミ退治を? いやいや、ここは浅草蔵前。旗本、御家人の食べる米蔵がずらりと立ち並んでいた町だった。 
 米蔵を狙うネズミ退治のため、沢山の猫が屋外で飼われていた、と推測できる。
 
 そのうちの一匹が、公衆トイレの前でうたた寝。これなら、筋が通る。
 幕末時の蔵前の地図がある。
 
 
 探求クラブさんのHP。とても参考になる。
 
 
 浅草見附で神田川を渡り、江戸通り=旧奥州街道を大川に沿って北上し、松平伊賀守上屋敷を過ぎると、右手に、大川から上がる米を収蔵する米蔵群が出現する。
 左手には、天王町、片町、森田町、旅籠町と町家が並ぶ。公衆トイレは、この辺だろう。便利さを考慮すると、十字路付近。
 蔵の前に3つの四辻があるが、真ん中の四辻が匂う。蔵群に入る「中の門」が間近だし、猫もネズミを捕りに出入りできそうだ。
 
 結論=猫は、現在の蔵前1丁目交差点あたりで眠っていた、ネズミを捕るので米蔵の町では重宝がられ、昼は通りで安心して眠っていた。
 
 勝手な想像で、だからどうした、といわれれば、返す言葉がない。