作家の志賀直哉が、犬が好きなことは小説を読んでうかがわれるが、野鳥に対しても同様だったようだ。
主人公の画家矢島柳堂は、作家志賀直哉の自画像なのだろう。
「俺は鷭(バン)が飼いたいよ」と突然言い出す。「中庭に綺麗な水を流し込んで、葭(よし)を植え、其処へ一羽でも二羽でもいいが、鷭を放し飼いにするのだ」
作品が書かれた大正4ー5年ごろは、鷭も豊富で、飼うこともありえたのだろう。飼いたいわけは、鷭が14、15歳の少女のようだから、と書かれている(ちょっとアブナイ)。
「前髪に赤い手絡(てがら)を結び、萌えだしの草の茎のような足で葭の間を馳け歩く姿を見ると、その羞むような様子が彼には十四五の美しい小娘を見る気がした」
見沼たんぼで鷭を見たことがある。葭の間を馳け歩く姿ではなく、水面に浮かぶ水草の上を歩いていた=上=。まるで、水の上を歩いているようで、よほど軽いのだなあ、と思った。明るい草色の足は目立ち、見れば水かきがなかった。
小説では、隣のお婆さんが鰻の流し針で鷭を捕まえ、箱に入れて主人公に呉れる。主人公は、鮠、小鮒、泥鰌、ヤゴと、次々に餌を用意するが、鷭は拗ねたように食べない。
翌朝、鷭を見に行くと、横倒しに長い足を延ばし、死んでいたー。
偏愛するが、世話はしないタイプの作家だったようだ。