数年前の真夏に家族3人で、湖東=琵琶湖の東岸を回った。古刹は山寺ばかりで、杖を借りて汗をかきかき登った。石段を登って出合った石塔寺の石塔は、異国風であった。
三重石塔の、層と層の間の石が縦に長いせいもある。垂直性が強いとでもいうか。
最下壇は、現存の1個でなく2個の石が並んでいる。1個の幅が四尺三寸=1m30と表記してあるから、総幅2m60くらい。高さが五尺三寸=1m61。最下層は高さより幅があるので、安定感のある造りになる。
絵で見ると異国風の度合いは減じる。現存するのはおそらく石1個分。高さ1m61で幅は1m30なのだろう。高さが強調される筈だ。江戸時代にはあった最下層の2個の石の1つが失われたのか。
それとも、司馬江漢がちゃんと写生しなかったのか。現代の旅行者は、今の塔を見て異国風を納得するが、今の塔ははたして古の塔と同じものであるのかどうか。
基礎的な事実を確認しないで語ると間違えそうである。
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3.11までに終えなければならなかった仕事を済ませホッとしながら、今見えるものだけで判断しては、ホントのことにはたどり着けない、と思ってみた。