つるぎ堂の猫ノートと、蕙斎の猫の略画と

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 千駄木へいって、店で別々に買物していた息子が、「おやじのスキそうな、ノートがあったよ」と、手に数冊もってきたのが、つるぎ堂の小さなノートだった。「息子はなんで、親の趣味をしっているのだろう」といぶかしくおもいながら、一冊だけ購入した。
 
 そのノートも、メモで満杯になったので、あらたに手にいれないとならない。ノートには、メモにまじって、 1927年、藤田嗣治画伯が石黒敬七氏に送った、猫を抱き上げた画伯のポートレート写真、 2008年、写真家・中平卓馬氏撮影の、駐車場で横たわる無愛想な猫の写真 がはってある。ともに、わがやの猫にそっくりだったのだ。
 
 猫の表紙絵につられて猫に関するメモ、切り抜きが多くなったのだろう。
 つるぎ堂のノートが、ほかのノートとちがうのは、活版印刷ですられたクラフト紙のノートであること。
たったそれだけだが、それだけで、随分ちがう。結果的に、ほかのノートにくらべて、大事にメモを書きのこしてある。
 
 荒川の活版印刷屋さんの3代目が、需要激減中の活版にこだわって工芸的な印刷物をこしらえているらしい。あたらしいのを手に入れに、休日に千駄木に繰り出さないとならない。もっと買っておけばよかった。
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  アマゾンで注文した、江戸時代の浮世絵師、鍬形蕙斎(くわがたけいさい)の豆本が届いた。
「鳥獣略画式」。
 
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 蕙斎はあなどれない。浮世絵師の代表格のあの葛飾北斎が、18世紀後半から19世紀前半と同時代に生きた、この鍬形蕙斎のマネばかりしていたというのだ。
 そのせいもあって、先駆者の蕙斎びいきが多いのだそうだ。「蕙斎好きの北斎嫌い」という言葉があると中野三敏さんの著作でしって、蕙斎に興味をもった。中野さんはもちろん”蕙斎好き”。
 
 畳屋の倅で、津山藩のお抱え絵師となった浮世絵師、蕙斎の打ち出す新機軸を4歳年上の北斎は、マネしまくる。動物や、人間の動きをデッサンした略画もそう、「日本一目図」「江戸一目図」など、蕙斎が先駆けた俯瞰図も、北斎がマネ、しかもマネて凄いものに仕あげた。
 
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 豆本をめくると、猫の略画。これもまた、北斎は真似ている。蕙斎えがく、後姿の猫の略画をもとに、北斎は自分流の猫に仕立てていた。
 
 北斎の蔭に隠れている蕙斎だが、東京スカイツリー展望台には、蕙斎の「江戸一目図」のコピーがかかげられたそうだ。すこしは、なじみがでてくるのだろうか。まだ登っていないし、登る予定もない。むしろ、友達の家の近く、沼袋の寺、密蔵院に墓があるらしいので、友達をさそってさがしてみようかとおもう。