猫が「化け猫」に間違えられないためには

 上越浦佐毘沙門堂の猫面がきっかけで、化け猫のことが気になっている。
 化け猫の判定材料のひとつは、猫が人語を話すこと。
 我が家の飼猫も、毛玉をはいたときや、餌を食べた後、のどの奥で、ムニャムニャと声を発することがある。
 ミャーとか、ニャーとか、普段の猫の鳴き声とちがうので、まるで、しゃべっているみたいでハッとしてしまう。うちの猫も江戸時代だったら、化け猫扱いだったのか。
 
 猫の身になって検証してみた。
1)19世紀「耳袋」(根岸鎮衛編)の「猫の怪異の事」のケース
  被疑猫=江戸・番町の武家の飼猫。 
  被疑事実=縁側で雀2,3羽がいたので飛びかかったが、逃がした。そのとき、飼主の武士は、猫が「残念なり」と人間の言葉で話すのを聞いた。
  猫のその後=武士が「おのれ畜類の身として物云ういうことあやしき」と火箸で殺そうとしたが、逃走して未遂に終った。猫はその際、「ものいいしことなきものを」とまた話したと武士は主張。猫は自宅へは戻れなくなった。
 
2)20世紀「猫が物いう話」(森銑三)の一のケース
  被疑猫=林武次右衛門宅の猫(住所不明)
  被疑事実=真夜中、「はあ、みな寝てじゃ」と猫がいうのを宿泊した半八が聞いた。
  半八と目が合った猫は、きまり悪そうにして、何処かへ行ったとする。半八はこのことを、口外しなかった。
  猫のその後=2、3日後、猫は林宅の屋根に戻ったが、足を一本斬られていた。林は手当てをしたが、死亡した。加害者は特定されず。
 
3)20世紀「猫が物いう話」の二のケース
  被疑猫=浅井金弥宅の飼猫(住所不明)。体の大きい男猫。
  被疑事実=春の日、縁台で、金弥のお婆が、白魚の選別作業をして居たとき、「ばばさん。それを、おれに食わしや」と人語を話したと、目撃者(詳細不明)が証言。 お婆は、猫に対し「おぬしは何をいうぞ。まだ旦那どんも食わしゃらぬに」と叱り、猫と婆は対話した。
  猫のその後=猫はそのまま眠り、もちろん、お咎めなし。
 
4)推定19世紀「猫の踊」(森銑三)のケース
  被疑猫=桑名・松平家の岩瀬作左衛門宅の飼猫
  被疑事実=作左衛門の倅が、鰡(ぼら)の刺身を作っているとき、猫が魚に手を出した。倅は庖丁の柄で猫の頭をコツンと叩くと、猫が「いたい」と人語を話した。倅は、小声であるが、澄んだはっきりした声、と証言している。
  猫のその後=倅は、猫が化け猫と考え、夜中に外出する被疑猫を追跡、萱町天神社の堂で、2-30匹の猫と踊っているのを目撃。翌日倅は、独断で猫を簀巻きにして海へ放り込んだ。猫は死亡したと推定される。
 
 以上のケースでは、いずれも猫の人語は、短い。
 「ばばさん。それを、おれに食わしや」がいちばん長い程度で、「残念なり」「はあ、みな寝てじゃ」「いたい」は、空耳アワーの世界であった。
  猫の、人語まがいのワンフレーズが、大きな事件を引き起こしている事実におどろいた。
  上記の4件のうち、浅井宅の飼猫以外は、殺猫(桑名)、殺猫未遂(番町)、傷害致死(林宅)の結果となった。
 
 +++++++++++
 
 浅井の婆の様な、猫の理解者に飼われた猫はいい、とはじめは思ったが、これも、油断できない。「浅井の婆」自身が危険なのだ。婆が、人間でなく、「化け猫」あるいは、猫に「取り付かれている」と判断され、殺害される事件が「耳袋」にも、残っているから。(つづく)
 
 イメージ 1 森さんの文章は「ちくま文学の森・動物たちの物語」に収録されている