山羊をオンブして自転車をこぐアフリカ人に感心したこと

 平安時代の犬飼が、京都の川の深瀬で猟犬をオンブして渡って面白がられたことを、前に書いたが、山羊をオンブして自転車に乗る男性の写真をWEBで発見した。
 
 
 アフリカらしい。山羊が男性を信頼して掴まっている様子が伺われ目をみはった。前で脚をしばっているのかな、と思った。しかし、動物の力は、とてつもなく強い。やだ、と思ったら大暴れして手がつけられない。
 
 山羊は納得しておぶさっているにちがいない。動物は、想像以上に人間のことをわかっているのではないか。
 
 古典的な名著になるのだろうけど、コンラート・ローレンツの「ソロモンの指環」(日高敏隆訳、ハヤカワノンフィクション文庫)には、彼が育てたワタリガラス「ロア」とのビックリする体験が書かれている。ローレンツは、ワタリガラスが仲間の背後から頭をかすめるように飛び「クラックラックラック」と鳴くのは、仲間に「一緒に飛ぼう」と誘っている言葉だと発見する。
 
 ワタリガラスの「ロア」は亡くなる前のある時、ローレンツが危険な場所にいる、と心配して高みから急降下し、頭上すれすれにかすめて飛んで肩越しに顔を見たという。
 
 そのとき、「クラックラックラック」というワタリガラス仲間への鳴声でなく「ロア、ロア、ロア」と人間の声色で、ローレンツに呼びかけたというのだ。
 
 なきまねの上手い老カラスは、ローレンスには、人間の友達として人間の言葉で叫んだのだとローレンツは解釈する。ワタリガラスのロアは、「それがたった一つのかんたんな呼びかけであったにせよ、意味をつかみ洞察をもって、人間のことばで人間と語った唯一の動物である」と、ローレンスはこの章をむすんでいる。
 
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「ソロモンの指環」は、旧約聖書の中の、動物たちと自由に話せたソロモン王の話から題名になったのだった。ソロモン王は、指環のおかげでその能力をえたが、あることで指環をなげすててしまい、もう2度とその能力がもどらなかった。
 
 ペットとのつきあいでも、予想以上に人間のことを理解しているのではないか、と思うことがある。
 ペットブームは、人間がさみしいからとか、家族の代わりにしているからとの解釈でなく、人間が「ソロモンの指環」を取り戻す営為なのだ、と捉え直したらどうだろう。