19世紀はじめの英国版画とアジサイと

 未明のサッカー中継もみずにがまんして、睡眠をとり、早朝に起床し、いざ、出発というとき、今日の×××は、「降雨で中止にします」の電話。
 
  しかたなしに、猫と一日すごす。猫は年とったせいか、ねむってばかりで相手してくれないし、部屋の整理をする。
 
 息子とオックスフォードの町を散策したときに、クライストチャーチ近くの、古本屋で手にいれた版画が埃をかぶっていた。
 
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 紫で縁どられた黄色の花が、なんという植物かわからないし、絵としても構図はさびしい。なんでこれをえらんだのか。おぼえてない。きっと、価格を優先して、これで手をうったのだろう。わからないまま、放置していた。
 
 暇なので、虫眼鏡でしらべると、「by S curtis walworth july 1.1819」。右にずっと、はなれて「weddell」の文字があった。右上には「N 2081」
 
 ホントにwebの世界は、便利だ。S curtisで検索すると、サミュエル カーティス(1779-1860)という英国の植物学者、出版者がヒットした。英国南東部の、WALWORTHうまれで、義理の父であり、オジでもあった植物学者ウイリアム・カーティスが創設した植物雑誌「botanical magazine」社の2代目経営者だった。
 
  18世紀初頭、英国では、中近東、アジアから輸入される植物への関心がたかまった。ペルシャのアイリスとか、いろいろあったらしい。渇望した英国のガーデナーたちの心に火をつけたのが、新奇な植物の紹介したウイリアムの版画だった。
 
 1787年からすりはじめ、版画家のほか、色づけするカラリストがいて、モノトーンですりあがった版画に、それぞれ、色をつけて、ヒット商品になった。
 
 サミュエルの代になって、エドワーズという版画家がライバル社にうつり、WEDDLEという版画家をみつけて、あらたに発行した、ということまでわかった。
 
 S・CURTIS―WEDDLLE 版の、2081番が、この版画、ということになる。
 
  では、この植物名は? まったく、わからないが、ハーブの一種ではないか。19世紀はじめのこのころ、日本には独人シーボルトが来日している。彼は1万2000点の日本の植物の押花標本をもちかえり、 
アジサイを、ヨーロッパにひろめた。CURTISの版画には、アジサイもあったろう。しってれば、アジサイの版画を選んだのに。
 
 アジサイの季節。空梅雨だが、魚屋さんちのガクアジサイは、紫、青と見事な色でさいていた。