竜巻博士に終始してワタリガラスの成果なし

  スチュワートさんとの英会話教室は、お互いしりたいことを、きく時間にかわってしまった。
  きのうは、米国をおそった巨大竜巻の新聞記事をだして、
  「竜巻の規模をさす、EHのHは、HUJITAとある。日本人の名ではないか?」
  といきなり、きいてきた。あいまいな記憶をたどって、
 「うーん、日本からアメリカへ頭脳流失した藤田教授ですよ。米国での竜巻研究もすごいけど、 
 藤田教授のダウンバースト(下降噴流)の発見もすごい。世界中で、離発着時の航空機事故が予防できるようになったんですから」
 「でも、なんで、日本で大きな竜巻がないのに、竜巻の研究をはじめたの?」
 それには、窮して「うーん、わかんない」。ローラのように返事してしまった。
  
 藤田哲也氏は、1920年北九州生まれ。明治専門学校(九州工大)機械科卒で、助教授。
 1945年に広島、長崎原爆被害調査。1947年に、福岡と佐賀の県境、背振山(せぶりさん)の雷雲調査で、下降気流をしらべた。
  霊山でしられる背振山(1054m)は、霧がたちこめる難所で、1936年にはフランス人飛行士が遭難している。この調査がその後の人生をきめることになったようだ。
  東大の正野教授から、台風のマイクロ解析の研究をすすめられ、53年博士号取得。これに、シカゴ大のバイヤース教授が関心をもち、藤田氏を招聘。57年に藤田氏はムービーカメラをもって、ファーゴ竜巻を調査。 これが、竜巻の科学的調査の嚆矢となった。65年にシカゴ大教授に就任。ドクター・トルネードとして、有名に。
 75年には、ケネディ空港航空機事故の調査。原因となった下降噴流=ダウンバーストを発見した。79年には、ダウンバーストの予測を可能にした。98年に逝去している。
  スチュワートさんへ次週の答は、
『藤田氏は、はじめから竜巻に関心があったわけではなかった。九州の背振山での下降気流の調査依頼があり、その結果がしっかりしていたので、やがて、シカゴ大に関心をもたれ渡米。米国の竜巻を、はじめて科学的に研究し、竜巻研究の礎となった』、でいいか。
 
 さて、こちらがスチュワート先生にきいたのは、ロンドン塔のワタリガラスのこと。
 「たしか、ロンドン塔では、羽をきって、かっているんじゃなかったかなあ」
 「はあ?」
 「日本のカラスは、RAVEN(ワタリガラス)じゃないの?」
 「CROW。小さいですよ」
 えられること少なくてがっくり。
 そのかわり、ワタリガラスについて、北海道・知床での様子が少しわかった。
 背面飛行どころか、背を下にしたまま、上昇する生態を写真入で紹介してあるすばらしい、サイトを見つけたのだ。
かれらは編隊飛行し、3羽が顔をむけあう、アクロバット飛行までしているではないか。
 猛禽類をもおそれず、ワタリガラスは、オオワシのしっぽをくわえ、急停止する悪戯も。
 とんでないやつだ、ワタリガラスは。
 
 ただし、ホワイトが記述したような、とびながら片足で体をかく生態は、知床ではみられない。