犬を負ぶった平安時代の犬飼におもうこと

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 黄金週間の一日、
 
3家族があつまって、知人宅の庭で恒例のバーベキューをした。
 2家族の主人は、はたらきざかりの最中、相ついで、なくなってしまったので、
 ご主人たちの、在りし日をしのぶBBQにもなっている。
 今年は、猫の話でもりあがった。
 みな、猫をかっているが、我が家が一番あまやかしているらしいことがわかった。
 いっしょのベッドでねているし、ともすると猫と人間の区別があいまいになっていることがある。
 
 
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ペットを家族のようにあつかうのは、動物にたいする日本的傾向でもある。
 昔からそうだったのだ、と強弁したい。
 平安時代の『大鏡』に、犬飼がでてくる。犬飼は、猟犬飼育のプロ。
 京都・大原野での狩りで、醍醐天皇の一行にしたがって、同行した。
 桂川の深い瀬を渡るとき、犬飼は意外な行動にでた。
 猟犬をおぶったのだ。
 
「なにがしといひし犬飼の、犬の前足を二つながら肩に引き越して、深き河の瀬渡りし」
 犬の前足を自分の肩から前にたらしておぶった光景に、一行は、面白がった。
 醍醐帝はこの犬飼はプロだなあ、とおもったようだ、としるしている。
 
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犬飼の図(年中行事絵巻物大饗の図)
 
 西洋流の猟犬教育法は、まったくちがう。
 フリードリヒ2世が13世紀にあらわした「the art of falconry」(ハヤブサによる鷹狩りの技術)に、つぎのようにかかれている。
 
《鷹犬としてハウンド犬は、勇敢でなくてはならず、河を歩いて、あるいは泳いで渡るのをおそれず、ハヤブサをおいかけて、どんな地面の障害も越えていくように、しないとならない》
 
深い瀬であろうと、自力でこえる猟犬をそだてるという、教育的意志がはっきりしている。
鷹が鶴など大型の鳥をとらえて地上に降りた際、鋭いくちばしで攻撃される危険にさらされる。
鷹犬はいち早く獲物のおちた地点までかけつけ、鷹を支援する判断力、機敏さが要求される。
 
この平安時代の犬飼は、猟犬と家族のようにくらしている様子がみえ、ほほえましいが、
 これでは立派な猟犬にはならないわな、とおもってしまう。
 本格的な鷹犬が、結局日本でそだたなかったのは、
 犬飼の資質の方に原因があったとみるべきかもしれない。
  
また、自分が、教育にむかないことを、つくづくおもいしる。