上代日向研究所

上代日向研究所について(4)

その時、考古学者の瀬之口伝九郎氏は、知らされていたのだろうか。 陸軍は、2ヶ月前の昭和17年4月、古墳群が広がる宮崎市の西北、現・国富町の木脇地区に、飛行場建設を決定していた。 紀元二千六百年にあたる昭和15年10月に、陸軍は少年飛行兵を育…

上代日向研究所について(3)

ロス、シアトル、バンクーバーなど海外から贈られた石材も活用して建立された「八紘之基柱」の紀元二千六百年奉祝事業と違い、上代日向研究所の開所は手間取り、翌昭和16年8月8日に行われた。 所在地は宮崎県立図書館。その日のスケジュールは、「所報第…

上代日向研究所について(2)

上代日向研究所には、前述のメンバーのほか、宮崎県立中学校教諭の廣田孝一氏が委員として嘱託されていた。 京都帝大で西洋史を学んだので、歴史の教諭だったのだろうか。 生れは京都であるが、高知で育ち、徳島夜間中の教諭をしていた昭和12年(1937…

上代日向研究所のこと

球春、プロ野球のキャンプもたけなわ。テレビのスポーツニュースをぼんやりと眺めながら、幾度か訪ねたソフトバンクやジャイアンツの宮崎キャンプを思い出す。 サク越えの当たりを連発する野手を見て騙されたものだ。ブルペンで速球を投げ、仕上がりの早い投…