2022-01-01から1年間の記事一覧

復古の動きと二条家俳諧

猫がテレビに夢中になっている間、天明8年(1788)の京都の大火について、少し考えてみた。 京の俳諧師でもっとも被害を被ったのは、夜半亭を蕪村から継承した三世高井几董だった。御所近く椹木町通りの家を焼かれ、予定した「井華集」の板木も焼失。大…

猫の日なれば一茶、大江丸

2月22日はにゃあにゃあにゃあで、猫の日なのだという(1987年制定)。 今調べている天明、寛政期の俳諧師にも猫の句は少なくない。 大坂の大伴大江丸には、下の句。 ねこの恋鼠もいでて御代の春 きりぎりす猫にとられて音もなし 春たつといふは(ば)…

真葛が原の風の咎

「京師の人物」と題して、瀧澤馬琴は、「羇旅漫録」に記している。 「京にて今の人物は皆川文蔵と上田餘斎のみ」。享和2年(1802)に京を旅した馬琴は、この二名しか、京に同時代の文人はいない、と語りだす。 「餘斎は、浪花の人なり、京に隠居す」と…

都林泉名勝図会の中の定雅

本棚の隅にある、昭和3年に復刊された「都林泉名勝図会」(寛政11年)を手に取った。寛政年間に活躍した京の俳人に関係するものが見つかるかもしれないと思ったのだ。 同書は、京の林泉(林や泉水を配した庭園)を絵入りで紹介する京の観光案内といったら…

捨文事件と二条家

寛政12年(1800)の大坂俳諧師事件では、結局俳諧師たちにおとがめはなく、その後の活動にも影響はなかった。 私は気になって、捨文の中で「鎮西将軍」に担がれた二条家について知りたくなった。二条家といえば、二条良基以来、和歌の家として知られる…

大坂俳諧師事件と定雅

京の俳人で洒落本作者の西村定雅が、東山雙林寺で暢気に「烟花書画展覧」を開催した半年前の寛政12年(1800)3月、「大坂俳諧師事件」なるものが持ち上がっていた。雙林寺の芭蕉堂の成田蒼虬も巻き込む騒ぎだった。 私は全く知らなかった。 この一件…

芭蕉蛮刀図と定雅

寛政12年(1800)に京・東山の双林寺境内で開催された「烟花書画展覧」の会について調べていて、妙なことに気づいた。まずは、会を振り返るとー。 この催しには、俳人で洒落本作者の西村定雅が出品したが、主たる出品者は、賀楽狂夫という人物だった。…

定雅が出品した烟花書画展示の会

戯作者の瀧澤馬琴は、生涯1度だけ京・大坂を旅したが、その様子は翌享和2年(1802)「羇旅漫録」に記し、さらに漏れたものを「蓑笠雨談」(享和4年)に収めた。 滞在中に馬琴が会った京の俳人で人気洒落本作者の西村定雅(1744-1827)の名は…

芭蕉堂の花供養

京都東山の真葛が原にある芭蕉堂は、天明7年(1787)刊行の「拾遺都名所図会」に、大雅堂などとともに紹介され、絵の右隅に小さく描かれている。 俳人の高桑闌更が天明3年(1786)、西行、芭蕉ゆかりの地、双林寺の境内に自ら庵を構え、芭蕉堂を建…

未乾画伯の装幀本と鯖姿寿司

京都の洋画家・船川未乾(ふなかわ・みかん、1886-1930)装幀の古書が届いた。 大正10年に刊行された川田順の歌集「陽炎(かげろう)」。大分色あせている。 昭和4年に改訂される前のもので、表紙が桃色のグラデーション、裏表紙が水浅葱。裏表で…

定雅、土卵と馬琴の交流

戯作者瀧澤馬琴の長男の妻、路の愛猫ぶりに触れたが、江戸時代後期、江戸の馬琴と京の洒落本作者の交流はあったのだろうか。ふと気になった。 調べてみると、馬琴は81歳の生涯でただ一度、京都に旅していた。享和3年(1803)、36歳の時だった。 京都…

江戸後期の猫薬と瀧澤路のこと

江戸後期の天保13年(1842)に刊行された犬の飼育法「犬狗養育法」(暁鐘成)をwebで読んでいたら、大阪心斎橋にあった「清水堂滄海堂」が販売する犬の薬が各種紹介されていた。 その中の「柔狗強壮散」は、文字通り、柔な(虚弱体質の)犬を強壮に…