2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

金印偽造説と高芙蓉の潔白に就いて

京都東山の真葛が原の住人だった俳諧師西村定雅、富土卵や、双林寺の芭蕉堂などについて調べてきたが、真葛が原には「大雅堂」があり、画家の池大雅(1723-1776)が、画家の玉瀾夫人と暮らしていた。 拾遺都名所図会 蕪村は大雅と交流があり、「平…

長庚(蕪村)のうつし絵と松茸

西村定雅が書いた「長庚(蕪村)がうつし絵」のことが、ぼんやりながら分かってきた。 蕪村は天明3年(1783)に亡くなる直前に、宇治田原を訪ねたことを俳文「宇治行」に記していた。 山里で茸狩りをしたものの、皆は先を争って探しに出て、蕪村は遅れ…

猫好きの老鼠堂

今回も猫と一緒に考える。 俳諧師と猫の事。 俳諧の世界も、いきなり江戸から東京に変わったわけではない。正岡子規が始めた俳句刷新の動きは、明治30年(1897)に「ホトトギス」の旗揚げによって本格化していく一方、30年代になっても江戸時代の面…

来山の女人形と定雅の竹婦人

茶人で茶の本を多く残した高原慶三(1893-1975)が、俳諧師西村定雅と大伴大江丸のことを取り上げて書いていた。 高原の茶人としての考えは、利休以来、茶道に侘びが重視され、艶が忘れられている、「艶なればこそ侘がある、侘あらばこそ艶がある」…

西行人形と初辰猫

五代目市川團十郎には猫の逸話はなさそうだったが、五代目が狂歌で名を出した鯛屋貞柳の作品を調べていると、西行の銀猫の逸話を狂歌にしているのを見つけた。 平泉に向かう西行が途上の鎌倉で頼朝から銀作猫を貰ったが、遊んでいた子供にあげてしまった話は…

五代目團十郎と大江丸の行き違い

初代、二代の市川團十郎と猫について調べているうちに、五代目の團十郎を大坂の俳諧師大伴大江丸が訪ね、その様子を紀行(あがたの三月よつき)に残しているのを知った。 大江丸には、歌舞伎を句にしたものがあり、團十郎が出て来るものもある。 七夕の今宵…

猫飯と犬車の話

子供時代は夏休みになると、祖母の大阪の家に泊まりに行った。小学生の姉と2人きりで出かけたこともある。「こだま」は、当時東京―大阪間6時間50分かかったので、心細かった。出発前に、母が心配して列車に乗り込み、見ず知らずの隣席の男性に「この子た…